「城オヤジ」の登城日記 その参
島根県松江城 ─。
この天守閣は戦前は国宝指定でしたが戦後、文化財保護法で国宝基準が変更して腑に落ちない史的事実が多いと判断され、残念なことに重要文化財に改称。以来、市は何度も国に国宝指定の請願を行ってきましたが、これがなかなか・・・
そして長い〜年月が経ち平成24年に松江神社で「慶長一六」と書かれた祈祷札を発見!! これが天守に打ち付けられていたことが(天守内の柱の釘穴跡と合致)判明! 築城年が確定して、ようやく同28年に松江城天守は再び国宝に返り咲いたドラマチックな歴史があるんです。
【参の城】平成に国宝認定された島根県松江城
これが国宝認定のカギとなった「慶長十六年在銘松江城天守祈祷札」の1枚で、よ〜く見ると右側1行目に細い小さな文字で慶長十六と書かれています。(札は全部で2種類あります。ちなみに城内に貼られているのはレプリカ)
発見された札が、松江城のものであることを証明するために(札が貼られていた場所の捜索)実際に釘穴やシミ跡を調べながら城内全部の柱に札を当てはめる作業で地階のこの立派な柱にピッタリはまったそうです。
国宝5天守の5番目の認定で、現存12天守のうちで唯一「安土城」「大坂城」(築城時)の流れをくんでいる正統的な天守閣とも呼ばれ、天守の中央上側に見える特徴的な三角屋根は桃山建築様式の「入母屋破風」(いりもやはふ)というんです。千鳥が羽を広げた姿に似ていることから、別名『千鳥城』とも呼ばれています。
まずは天守地下1階の最大の見所。それは籠城用の物資を貯蔵するための倉庫が備えられていて、なんと!飲み水を確保するための井戸まで完備していました。天守閣内部に井戸が現存している例は、この松江城だけなんです。
この井戸は城近くにあった池と同じ深さまで掘られていたそうです。
松江城は城主の権威を示すという役割や政治性が強い城というよりも、戦を想定した実戦的な軍事機能を強調した造りをしています。特にこの城は外部の敵からは見つかりにくいよう工夫された石落とし(石垣に近づいてくる敵にこの幅広い隙間から石や熱湯を落とす仕掛け)や、敵が天守内に攻めてきた際に、階段を引き上げて上階に登らせないための”上げ下げ機能”があり、さらに防火防腐のためにわざわざ桐で作った軽量の階段なども備えられているんです。400年以上前の建造物でありながら当時の築城技術には感心させられますよね。
天守最上階からは松江の町並みと宍道湖が一望できます。水堀はこの宍道湖へと繋がり水上交通も抜群の立地を利用して築かれていたんですね。
城主は堀尾吉晴。この人物は城普請(城築土木工事のプロ)の名人でもあり、松江城下町を築き、信長、秀吉、家康に仕え、戦国の世を生き抜く魂がこもった城造りなんです。水の都と称される城下の堀や町の構造は今でも変わることなく、当時の姿を完全な状態で残しています。城と堀が江戸時代のかたちのまま現存する城下町は全国でも数える程しかないんですよ。
城周囲の水堀を小舟でめぐる「堀川めぐり」は松江城下町の観光名物。先頭さんの唄や話も味わい深く水堀の小舟の中から眺める景色は地面より低く、驚くほど景観が異なってます。
もう一つの驚きは小舟が幾つもの橋桁をくぐる中、小舟の屋根が確実にぶつかる低い橋桁が登場。「上半身を折るように!」と先頭さんからのかけ声。キツい〜座位の前屈ポーズをとると、なんと屋根を支えている柱が電動で畳まれ、屋根が下がってぎりぎり橋桁を通り抜けてスリル満点!!
小舟発着所は3ヶ所もあって一日乗船券はその日であれば何回でも乗り降りできちゃいます。(写真左上の森の上に天守閣屋根が見えてるよ)
北側の堀通りは「塩見縄手(しおみなわて)」と呼ばれ、江戸時代の城下町へタイムスリップしたかのような気分を味わえます。
小泉八雲が1年チョット過ごした小泉八雲旧居(当時のまま残されているのは全国でここだけ)と記念館もあり、築約270年前の松江藩中級藩士の武家屋敷(ここも当時のまま)も見学OK。他にも、地ビール館(コクがあって香り良く美味しかった)・由志園(中海に浮かぶ島にある日本庭園)等々と盛りだくさん。
お城マニアでない方も大いに楽しめて水の都の風情を味わえる、いつか行って欲しい城下町。お勧めです!
肆の城 につづく