がんばれ!燃える闘魂・アントニオ猪木平成激戦譚
今、アントニオ猪木が病と闘っています。
これまで何度も「元気」を与え続けてくれた猪木に少しでもエールを送りたい!
アリ戦、ウイリー戦、ブロディ戦を戦い抜いた昭和の猪木はもちろん素晴らしいのですが、年を重ねて、老いを背負ってからの猪木もまた、熱い戦いを見せ続けてくれた。
そんな猪木の平成の名勝負のベスト5を紹介したい。
目次
対 天龍源一郎戦(1994年1月)
1993年WARを旗揚げした天龍は、新日本プロレスとの対抗戦の大将として先陣に立ち、長州力、藤波辰爾、橋本真也らを次々に打ち破り、ついに猪木とのシングルマッチに辿り着く。
お互いに負けられない一戦、猪木の魔性のチョークスリーパーに天龍が失神。場内どよめきが起こるなか、長州が現れて…。
単なる勝ちでも負けでもノーコンテストでもない、「ドラマ」という名の試合結果が生まれた瞬間だった。
キャストが活き、対抗戦のストーリーを見事に昇華させ、次への期待も繋いだ名試合となった。
対 グレート・ムタ戦(1994年5月)
同年1月の天龍戦に期するものがあったか、猪木はついに引退へのカウントダウンをスタート。
初戦の相手として白羽の矢が立ったのはなんと闘魂三銃士、武藤敬司の「悪の化身」グレート・ムタ。
幾度の異種格闘技戦を重ねた猪木も変幻自在・反則上等のムタの攻撃に手こずるが、ムタ・ワールドに足を踏み入れることにこそ意味があるとしたことが燃える闘魂の感性の鋭さ。
赤い血と緑の毒霧に塗れ、二人の天才の「狂気」が牙をむいた異次元対決の形で魅せながら、さりげなく後進にバトンを渡す猪木の後ろ姿が眩しい。
対 リック・フレアー戦(1995年4月)
北朝鮮、平壌の綾羅島メーデー・スタジアムでの「平和のための平壌国際体育・文化祝典」。
初日15万人、二日目19万人動員したという、プロレスイベントとしては空前のスケールのリングで実現したフレアー戦。90年代に入り様々な問題が吹き出してきていた北朝鮮という国をめぐる世界情勢を考えると、まさに奇跡的なイベント。
プロレスという文化が根付いていない地での異様なムードのなか、フレアーの持ち味をたっぷりと引き出したうえで、猪木の延髄斬りが「Nature boy」「狂乱の貴公子」フレアーに炸裂するまでの怒涛の流れは圧巻。
対 ビッグバン・ベイダー戦(1996年1月)
新日本プロレスとUWFインターナショナルの対抗戦の真っ只中、突然の新日復帰を果たしたベイダー。
猪木にとっては過去何度も対戦してきたライバルであったが、メインを武藤vs高田のリマッチに譲り、ややテーマがぼやけているように見えた特別試合であった。
50を過ぎた猪木の動きは決して悪くはなかったが、油の乗り切ったベイダーの攻撃は容赦の欠片もなく、特に体重を見事に乗せたジャーマン・スープレックスでは東京ドームに悲鳴の嵐が渦巻いた。くの字に折れ曲がった猪木の身体にはもはや闘魂の炎が消えてしまったかに見えたが…。
受けの美学とサブミッションの説得力が光る、猪木レスラーキャリア後期の名勝負。
対 ドン・フライ戦(1998年4月)
猪木の引退試合は、レスラーのみならず総合格闘技の選手を交えた8名で行われるトーナメントの勝者との対決となった。つまり当日まで対戦相手が分からないという前代未聞のファイナルマッチ。
事前の試合で勝ち上がった小川直也ら4選手で争われた決勝戦の勝者は果たして、大方の予想を裏切り、UFC王者ドン・フライ。
お涙頂戴の師弟対決メモリアルマッチを見届けようと東京ドームに集結した5万人を超える観客は、年老いた猪木に襲いかかるオープンフィンガーグローブを着用したフライの狂拳にもはや目を覆うしかない…はずだったが…。
試合後、「道」の名言を残して右腕を高く挙げた燃える闘魂は、人々の心に確かな「元気」を灯して、引退の花道を風のように駆け抜けていった。
以上、熱く素晴らしい激闘の数々を紹介しました。
病を乗り越えて、また、この「ご時世」を戦い抜く元気を見せてくれ。
がんばれ!燃える闘魂・アントニオ猪木!
INOKI! BOM-BA-YE!
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